引自臉書的HoT的文章https://www.facebook.com/humansoftokyo2015/?fref=ts
譯者:Helen Chang
身為我的好友就被我拜託了。原本只是想要知道文章的大意,因為只能看Google翻譯的我,實在是有些地方深深不解,所以拜託會日文的好朋友,結果她秉持著我對渥美先生的仰慕,她全文都幫我翻譯了。
此文章分為三個段落。
圖片引自HoT文章。
「守り抜いたギター Part.1」
「ミュージシャンとして生きていく。不思議と小学生の時からそう決めてたんだ。不良のイメージがあったのか、エレキギターを始めた時は親と取っ組み合いの喧嘩をしたこともあった。でも、ギターは離さなかった、誰に何を言われようがこれで生きるって決めてたから。」
横浜市・関内の駅前にある音楽スタジオで出会った彼。夢を見続けた少年は17歳の時にバンド選手権で入賞し、横浜スタジアムで演奏。幾つかのレーベルにも所属したが、独自の音楽観とライフスタイルを追求するために独立。その後、世界初のとなるタップとギターとパーカッションのトリオバンドを結成し、楽曲発表を控えた矢先に東日本大震災が日本を襲う。
「あの時はみんな自粛ムードで、楽曲を発表するか悩んでた。でも、その時に美空ひばりさんの事を思い出した。彼女は音楽の力で戦後の日本人の心を支えたでしょ。俺もミュージシャンで生きて行くって心に誓ったんだから、音楽の力を信じて発表したんだ。」国内に自粛ムードが広がる中、強い信念と哲学を持ち楽曲を発表、見事にITunesのジャズ部門で1位になった。その年に彼は移住の下見も兼ね、ヨーロッパ・ツアーにでる。ヨーロッパは彼らのバンドの音楽性を一番良く理解してくれたからだ。そこで彼は、衝撃的な出会いをすることになる。
インタビューを行っているスタジオには、レコーディングに訪れるアーティスト達の声がひっきりなしに響く。席を外した彼が両手にコーヒーを持ち戻ってきた。「どこまで話したっけ?」スタジオの小さな窓から差し込む夕陽の光が強くなり彼の顔を照らす。(つづく)
緊緊守護的吉他Part.1
「身為音樂人活著的想法,意外的是在小學時就決定了。雖然有著混混的形象,開始學電吉他時跟父母之間也有過爭吵。當時已經決定,不管誰說了什麼都要以此為生,無法離開吉他了。」
我在橫濱市関内車站前的studio與他相會。17歲發現夢想的少年參加樂團,在橫濱球場演奏過。加入過幾個band,但因為想追求獨特的音樂觀和lifestyle因而獨立。在那之後,組成世上第一個踢踏舞與吉他和打擊組成的三人樂團,在歌曲即將問世之際發生了東日本大地震。
「當時大家都在自肅模式下,煩惱過要不要發表作品。這時我想起美空雲雀小姐。她的音樂支持著戰後日本人的心。因著自己發誓要以音樂人走下去的心,我相信音樂的力量而發表了作品。」在國內普遍自肅氛圍下,有著堅強的信念和哲學的作品發表了,出色的在ITunes Jazz類音樂拿下第一。那年隨著想移民的想法,展開歐洲巡演,因為他的樂團的音樂性在歐洲是最被理解的,也在那裏他遇到了極具衝擊性的相會。
在專訪的studio裡,錄音的音樂人斷斷續續的討論。離席的他兩手拿著咖啡回來。「我們剛談到哪裡了?」studio裡的小窗灑進的夕陽光強烈的照在他臉上。
「守り抜いたギター Part.2」
「欧州ツアー中に立ち寄ったゴッホ美術館で歌川広重の絵を見たときに衝撃を受けた。浮世絵の力に触れたとき、ジャポニズムはこんなにも影響力があったんだって。同時に、日本で生まれ育った自分にしか創れない音は何かを考えるようになった。」彼はヨーロッパでジャポニズムの力に触れたことで、欧州移住を取りやめ日本での活動を決心。帰国後すぐ、オリジナリティを追求する過程で邦楽史を調べ始めた。
「古典邦楽は宮廷音楽の雅楽や大衆音楽の要素が相互に影響し合い江戸までに大成されたとは言ってもいいかもしれない。1,300年程度前に唐から伝わったとされる雅楽は宮廷音楽として一部の人の間で楽しまれ、現代に於いてやっと大衆化し始めた。大衆音楽は琵琶法師の弾き語りにより広まった。世阿弥の能などもこの流れを汲んでる。ただ、現代のポップミュージックなどには雅楽の持つエッセンスはない気がしている。だから、邦楽史を勉強し続けている僕が古典邦楽のエッセンスを取り入れた『邦楽2.0』という新たなジャンルの音楽を確立したいと思う。」音楽の話をするときの彼の眼は優しく、言葉には魂が宿る。
2012年より日本文化をキチンと学ぶために、アトリエ・スタジオを東京から京都の築130年の日本家屋に移し活動を続ける彼。「江戸の職人が建てた今の家での生活は慣れない部分も沢山。ただ、目の前に大自然が広がり、都会では耳にすることが出来ない四季の音を聴くことができる。そんな環境の中で雅楽や古典邦楽の仕組みを学びながら、楽曲制作を行う日々を過ごしている。邦楽2.0の制作は邦楽を前進させるコトなのかもしれない。」(つづく)
「歐洲巡演時在梵谷美術館看到歌川廣重的畫,感受到浮世繪的力量,日本主義潮流有如此大的影響力,這衝擊了我。同時我在思考,在日本出生被養育,只有我能創作出來的音樂是什麼。」他在歐洲被日本主義的力量觸及,決定放棄移居歐洲的計畫,回到日本活動。回國後立刻在追求原創性的過程中開始研究日本傳統音樂史。
「古典日本傳統楽是宮廷音樂的雅樂和大眾音樂交互影響,可以說是在江戶時期集大成的。1300年前從唐朝傳來的雅樂是被用於宮廷音樂,只娛樂著部分人,現代開始彈奏後才普及化。大眾音樂是琵琶法師彈唱著而廣傳的。世阿彌也是吸取這股洪流。但是我注意到現在的Pop music並沒有雅樂的精隨。所以我持續學習日本傳統音樂史,擷取古典日本傳統楽的精隨,我想確立一個新種類的音樂─『日本傳統楽2.0』。」談到音樂的他眼神柔和,言語都有了靈魂。
2012開始為了好好學習日本文化,把atelier studio從東京搬到130年歷史的京都老屋,繼續他的音樂活動。「在江戶職人建造的房子裡生活,不習慣的地方有很多。但是,在這裡我的眼前有廣闊的大自然,還有都市裡聽不到的四季聲音。在這樣的環境中學習雅樂和古典日本楽,過著製作音樂的日子。日本傳統楽2.0的製作說不定是可以讓日本傳統楽前進的事情。」
「守り抜いたギター Part.3」
邦楽2.0(古典邦楽をベースに進化させたオリジナル音楽)の制作に取り掛かった彼は雅楽や日本文化を学ぶ為に京都への移住を決意する。「不動産屋に京都で古民家を探していると伝えたものの音沙汰なし。もう諦めかけてた時に物件が出てきた。二度と出てこないっていうから二つ返事で、じゃあそこで!って。見に行ったら200坪もある古民家というか屋敷。今思うと運命だった。」
屋敷内の蔵をスタジオに改造し、大自然と向き合いながら日々感じたことを音へと昇華させる。「楽曲の制作を行いながら、裏庭で農業も始めた。京都に住むようになり音楽への向き合い方が変わった。これまで自分の好きなようにギターを弾いていた時もあるけど、今は自然と向き合い、古典邦楽の流れを汲み取りながら邦楽2.0に磨きをかける。自分の音楽を聴いてくれた人達に音楽に触れる楽しさを知ってもらいたい。音楽が僕らの暮らしをもっと幸せなものにすると信じてる。もっと音楽を身近にできたら。そう思ってる。」全てを包み込むような優しい瞳とは裏腹に、夢を語る言葉は力強く、聞く者を惹きつける。現在、彼は従来のアーティスト活動に加えて、ホテルや飲食店向けに音楽による空間創造を提案するほか、独自の音楽カリキュラムを基に教壇に立つこともある。
「色々やってたら仲間が増えてきた。古民家は仲間が集うコミューンみたいになり、音楽業界にも僕の想いを理解して協力してくれる頼もしい人達がいる。今、色々企んでるから。」そう言うと、彼はニッコリ。小さな窓から夕陽が差し込み、ゆっくりと彼の横顔を照らした。(終)
開始製作日本傳統樂2.0(將古典日本傳統樂往基礎更進化的原創音樂)的他,為了學習雅樂和日本文化決定移居京都。「就在房屋仲介尋找京都古民宅的消息全無,我快要放棄的時候,適合的房子出現了。覺得不會再遇到了所以立刻回覆,『就在那邊吧!』這樣。去看了之後是200坪的古民宅土地。現在想來覺得是命運。」
把建地裡的倉庫改成studio,將與大自然對坐的日常昇華成音樂。「在製作樂曲的同時,我也開始庭院裡的農作。因為住在京都,面對音樂的方式也改變了。之前會有依照自己的喜好彈吉他的時刻,現在則是面對大自然,一邊吸取古典日本樂的流洩,一邊雕琢日本傳統樂2.0。我想讓更多人知道,來聽我的音樂的人們被音樂觸碰到的喜悅。我相信音樂會讓我們的生活更幸福,如果讓她就在我們身邊的話。我是這麼認為的。」真誠的像是容納一切的溫柔眼睛、堅定的訴說夢想的言詞力道,吸引著聽者。現在他除了原本的音樂活動,也從事針對飯店和餐廳的音樂空間創造提案、教導基礎的個別音樂課。
「因為做各種事而夥伴增加了。在古民宅集合夥伴的聚會、音樂業界也有理解我的想法幫助我的人們。現在有很多計畫進行中。」他微笑說著。夕陽從小窗照射進來,徐徐的照著他的側臉。